2010年10月30日

含蓄をたたえた文章も印象に残ります

猫を書く
 夏目 漱石に内田 百間、梶井 基次郎、現代ならば町田 康や村上 春樹。
猫についての小説や文章を書いた作家は数多く、そしてそれらの作品は、
いずれもが例外なく優れた叙情性を持っている。まるで、猫について
表現することこそ、人間に言葉が与えられた理由ででもあるかのように。

 なぜ物書きは猫に惹かれるのだろうか。おそらくは猫という生き物が
あの丸くて柔らかい一つの体の中にあまりにも多くの要素を秘めているからであり、
それを気まぐれに見せてはまた隠し、また見せする様子が、作家たちの筆を
誘うからなのだろうと思う。可愛さ。美しさ。生物としての脆さと強さ。
ときに赤ん坊のように幼いかと思えば、仙人のごとく達観しているように
見えることもある。獣としての荒々しさや卑しさが、人間など足元にも
及ばないような高貴さとくるくる入れ替わる。猫の持つそうした
いくつもの側面を言葉でとらえようと、作家たちは猫と全霊で向き合い、
やがて筆を取る。結果として、猫を書いた作品に傑作が並ぶことになる。

 この『猫』にも、作家をはじめとする創作を生業にする人々が
それぞれのやり方で猫と付き合うことで生まれた珠玉の文章が連なっている。
微笑ましいもの、何か考えさせられるもの、いずれも適度に肩の力の抜けた、
洒脱な作品ばかりだ。確かに、猫と向き合うのに思想や信条はいらない。
猫の前では人は裸だ。それもまた、「猫もの」に傑作が多い理由かもしれない。

“猫”への親しみの情が湧いてきた好エッセイ集です。
 “猫”という個性的かつ魅力的な小動物に、次第に惹かれていく人たち。飼い猫や子猫の仕草や、彼らとの交流をひょいと書き留めてみた、そんなエッセイのいくつかに味のあるものがあり、なかなかに楽しめた一冊でした。

 1955年(昭和二十九年)に刊行された『猫』(中央公論社)を底本とし、クラフト・エヴィング商會の創作とデザインを加えて再編集した猫―クラフト・エヴィング商会プレゼンツを文庫化したもの。
 <ぶしよつたく坐つてゐるやうな感じであつた。>p.53、<机の下からそつと私の足にじやれるのを>p.137 といったふうに、原文のまま掲載されているのも雰囲気があって、好ましかったです。

 収録された文章、エッセイは、次のとおり。

 「はじめに」・・・・・・クラフト・エヴィング商會
 「お軽はらきり」・・・・・・有馬頼義(ありま よりちか。小説家)
 「みつちやん」・・・・・・猪熊弦一郎(いのくま げんいちろう。洋画家)
 「庭前」・・・・・・井伏鱒二(いぶせ ますじ。小説家)
 「「隅の隠居」の話」「猫騒動」・・・・・・大佛次郎(おさらぎ じろう。小説家、劇作家)
 「仔猫の太平洋横断」・・・・・・尾高京子(おだか きょうこ。翻訳家)
 「猫に仕えるの記」「猫族の紳士淑女」・・・・・・坂西志保(さかにし しほ。評論家)
 「小猫」・・・・・・瀧井孝作(たきい こうさく。小説家、俳人)
 「ねこ」「猫 マイペット」「客ぎらひ」・・・・・・谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう。小説家)
 「木かげ」「猫と母性愛」・・・・・・壺井榮(つぼい さかえ。小説家)
 「猫」「子猫」・・・・・・寺田寅彦(てらだ とらひこ。物理学者、随筆家)
 「どら猫観察記」「猫の島」・・・・・・柳田國男(やなぎた くにお。詩人、民俗学者)
 「忘れもの、探しもの」・・・・・・クラフト・エヴィング商會

 なかでも、有馬頼義、坂西志保の文章に、格別の妙味を感じましたね。行間に見え隠れし、自然、にじみ出してくる書き手の“猫”への愛情。それが、とてもよかった。
 “猫”を見つめる寺田寅彦の観察力と、含蓄をたたえた文章も印象に残ります。

posted by なつみ at 23:33| 読書 | 更新情報をチェックする

2010年10月29日

読み手に対する要求が高い

純粋な小説
なんのあてもなくパリに放り出されたわたしは、行き当たりばったりに知りあった人の家で居候生活を始めた。 身分を証明するものを持たない、それも共産圏からの密入国者であるわたしに何ができるだろう。
ふらふらと吸い込まれるように映画館に入ったわたしは、ひとりの女優に惹かれて、彼女を見るために、彼女に話しかけるために、映画館に通い詰めるようになった。

社会主義しかしらないベトナム人の少女は、フランス語がわからないからパンフレットも読むことができない。 作品を何度も何度も繰りかえし観て、オリジナルな解釈をつけてゆきます。 
少女が惹きつけられた女優はカトリーヌ・ドヌーブ。

小説には少女が見ている作品のタイトルが書かれていません。
実は・・・わたしはカトリーヌ・ドヌーブの映画をたくさんは見ていないので、少女がどの作品を観ているのか、私たちが知っているストーリーとどれだけかけ離れた解釈なのか、いまひとつわからないまま読んでいましたが、なかなか興味深かった。
12年間に及ぶ、パリでの実生活も ものすごく怪しげで、目が離せない。
こんなに長くパリに住んでいたのに彼女はフランス語をマスターできなかったのです。

この本は、読んだことによって自分に何かが蓄積される、そういうことはまったくない小説でした。 ある意味では純粋な小説とも言えます。
読んでいる時間、小説に没頭してるときがすべて。
芸術性の高い作品だと思いました。

映像と意味
日本で海外の映画を見慣れていると字幕が当然になってしまいますが、映像のなかの文字に注意を集中させられるというのは、かなりもったいないことです。ということが、この小説でよくわかります。

ベトナムの女子高生がヨーロッパ(特にパリ)をさまよい、孤独のなかで成長していく話。ストーリーもおもしろいですが、フランス語がまったくわからない主人公の独特の映画解釈がたまりません。セリフの意味が分からないから、画面からかなり勝手に意味を作り上げていく。いくとおりも考えられる映画の意味の世界の豊かさが、孤独な現実と重なっていく手法が見事です。

言葉=たった一つの意味。映画=いくつもの意味。この小説を読むと、字幕をみるのはやめようと思えるはずです。

読み手に対する要求が高い小説です
 共産国ベトナムから東ベルリンへ一人の少女がやってくる。ドイツ全国青年大会でアメリカ帝国主義を糾弾する演説を求められてのことだ。だが彼女は大会直前、運命のいたずらから西ドイツのボーフムへ渡ってしまう。その後パリへ流れ着いた彼女は、あの女優の出演作を見ることができる映画館を唯一の慰めの場として、二十世紀末を生きていく。ベルリンの壁が崩れ、祖国ではドイモイが進んでいることも、どこか他人事のように感じながら…。 言葉が十分には理解できないまま国境を越え、アジアの少女はヨーロッパの中で孤独を抱えて長年月を過ごします。読者は少女とともに「帰属感の喪失」を味わいながら、この小説の中で絶望的な彷徨を繰り返すことになるはずです。私はそのもどかしげな寂寥感を主人公とともに堪能しました。 とはいうものの、この小説は読者を選びます。というのも、これは主人公が作中では「あなた」と呼ぶだけの女優の出演作13編を作者なりに一度解体した上、この少女の数奇な運命と映画の内容とを重ね合わせ、<二重らせん構造>に組み直したものなのです。 各映画の筋書きは断片的に語られるだけで、映画解説風の詳細な描写ではありません。映画を未見の読者にはそれぞれの粗筋を十分には理解できないかもしれません。 特に最終章は映画との連関が一切説明されません。「セルマはアメリカに亡命してそこで死刑の宣告を受ける前に、ベルリンで三年間、暮らしたことがあった」という書き出しに頷くことができるのは、ビヨークがセルマを演じた「Dancer In The Dark」を見たことがある読者だけです。 セルマは異郷に生きるための慰めをミュージカルに見出していました。セルマと少女は鏡の関係にあるのです。 こうしたことを読み解けない読者をこの小説は最初から受け入れてくれません。読者に対するハードルの高い作品だといえます。
旅をする裸の眼
カットソー
ラベル:多和田 葉子
posted by なつみ at 19:55| 読書 | 更新情報をチェックする

非常に読み応えのある小説

大変おもしろく読ませていただきました
1巻?5巻を通して大変おもしろく読ませていただきました。
非常に読み応えのある小説だと思います。たぶん、今まで当たり前に思っていたことに疑問を投げかけてくれること請け合いです。陸奥に長い旅行に行ってみたくなりました。
ただ、私は文庫本で読んだのですが、5巻の巻末にある解説だけはいただけません。
最悪です。
ここだけは飛ばしたほうがいいと思います。せっかくの感動が、
台無しになること請け合いです。

おもしろかったです
 本書は1?3巻で前九年の役、4巻で後三年の役、5巻で源平の争乱と奥州藤原氏の興亡が描かれています。
 1?4巻までは、確かに面白いがどうも登場人物に入れ込めない、という感が個人的にはしていましたが、この5巻ではどっぷりとつかることができました。
 5巻の冒頭で、平泉の繁栄ぶりとその経緯を振り返るシーンがありますが、むしろこの場面こそが1巻の冒頭にあり、過去に思いを至す中で1巻の内容に入って行き…という構成にしたほうが、藤原経清などの登場人物に対する思い入れが「東北人以外の人々」にも深く浸透した上で話が進んだのでは?と九州人の私には感じられます。

奥州藤原氏滅亡へ
清衡は楽土を作り上げた。
その楽土を受け継いだ者たちが源頼朝により滅亡するまでの物語。

自分たちの立場を絶対的にするために招いた源義経。
その欲が奥州藤原氏滅亡に帰結する。
炎立つ 伍 光彩楽土
プラダ トート
ラベル:高橋 克彦
posted by なつみ at 00:41| 日記 | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

感想はなかなかまとまらない

昭和の政治家の一神話
架空の政治家の姿を借りて、実際の昭和の政治家の在り様をその一身にまとわされた
福澤一族の王たる榮という主人公。

その孤高の最終決断は、シェイクスピア劇の畳み掛けるラストの如く圧巻で、痛快。

作者は、男性だったら、斯様な人生の幕引きをしてみたかっただろうか。
きっと書き上げてさぞかし小気味良かったことだろうと、想像。

榮が唯一愛した晴子以外の女連の描かれ様には、女の嫌な面のオンパレードだったわけだが、
この榮の最終措置に、わたしも溜飲を下げた。

小説家の枠を越え「政治・宗教」と対峙した気概溢れる圧倒的な作品
上巻の第一章は、口頭での榮の政談、彰之の宗教談義だけで哲学書風に構成すると言う破天荒な出だし。第二章で、ようやく<王>と一族の考察に入り、題名に沿って来た。作者に依れば<王>を創り出す要諦は「能動」だと言う。ならば崩壊の予兆は「閉塞」か ?

下巻も榮と彰之の宗教談義から始まる。政治家とは思えぬ高邁な精神と仏教知識を持つ榮。二人の会話は相変わらず抽象的な哲学論だが、卑俗な面を見せるのは彰之と言う皮肉。早速、男女間の「閉塞」が語られる。一方、榮の政談は国政を語っていた上巻では新鮮味に欠けたが、青森を焦点にした途端、迫真性を増した。原子力発電所と建設業界、原子力船寄港と漁業補償、地方におけるインフラ整備、地方の政治風土と中央政界との関係等の諸問題が生々しく精緻に語られ、作者の筆力を再認識すると共に、舞台を選ぶ眼にも感心した。抽象論に終始した上巻より物語に求心力があると思う。特に"金庫番"英世の造形が巧み。第三章中の「息子たち」は本作の中核とも言うべき榮の回想談で、<リア王>を踏まえて、<王>の危惧は"時代が自分を追い越して行く事"、<娘>の反乱は"資本主義のニヒリズム"と喝破する。余りに時宜を得過ぎた宣託で、現代社会の根本問題に毅然と対峙する作者の孤高の姿は、最早小説家の枠を越えてしまった感がある。榮が<サクラマス>が乱舞する幻想を見るラストも印象的。もう一つの反乱分子秋道の影と合田の登場は次作(未読)への伏線だろうが、三部作がどう収斂するのか楽しみである。

小説としての成否は兎も角、社会を覆う諸問題を「政治・宗教」を切り口として描いた作者の気概と透緻した思索は読む者を圧倒する。ただし、「現代のシェークスピア」ではなく、やはり「現代のドストエフスキー」と感じたが。表紙を飾るレンブラント画「瞑想する哲学者」は、まさに本作の象徴として相応しいと映った。

私の中で高村氏の評価はいつも五つ星である
『新リア王』も何とか読了。政治と宗教をど真ん中から扱ったという点で読後感はシェークスピアというよりドストエフスキーに近い。

感想はなかなかまとまらない。一般的読者は「リビエラ」や「合田」の登場を願うようだが、もはや世界は変質している。本書を読んでいる間は、正法眼蔵でも併読しようかとさえ思ったが、高村氏の主眼が仏教にないことが下巻で明白になったので、それは止めた。ではと、ハイエク的リバタリアニズムとかケインズ主義の基本を少し補強しておこうとも考えたが、それも止めた。高村氏の主眼は、政治を扱いながらも政策の優劣とか対決にはない。2009年8月の衆議院選挙における政権交代を知った我々は、斜めから彼らの政治議論を眺めることになろうか。

宗教や政治の理念と現実、政治の真実、権力闘争、世代交代といったものよりも、この小説の主眼は父子の虚実の対話そのものにこそあり、この対話劇を楽しめない読者には本書はつらいだろうと思う。対話の果てに辿り着くのが、孤独であるというのは、どういう結末であることか。救いはあるのか。

高村氏がこの地平まで来た以上、オウムを扱った『太陽を曳く馬』が提示する世界というのも、おぼろげながら想像がつく。そこにはもはや「会話」さえ成立していないかもしれない。(まだ読んではいないが)
新リア王 下

リュック
posted by なつみ at 22:45| 読書 | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

逆説的だが、深い文学性を感じた

太宰 治の津軽

大切な人との再会?民族誌としての『津軽』
『富岳百景』と比べて、どちらかと言えば『富岳百景』の方が好きだ。
私は明るい雰囲気の話が好きだから、結婚を控えて妙にうきうきした感じの伝わってくる『富岳百景』が好きだ。太宰のような陰気な人が妙にハイになっているといじましく感じる。
とはいえ、本作も太宰作品ではどちらかと言えば、陽性の方らしい。
本作は、紀行風土記の体裁をとりながら、その実は人物風土記となっている。
生家と隔絶があり、自然と出身地の津軽にも足が遠のいていた太宰が、原稿執筆という大義名分をテコに重い足をふるさとへ向ける。ところが、ふるさとの人々は彼をわすれずにいたどころか、むしろ大いにその名声を誇りにして、暗く不景気な時代にもかかわらず、大げさなほどに歓待するのだった。
多くの旧友との交情が描かれるなか、クライマックスは著者の乳母であり先生でもあった「たけ」との再開の場面。
私はこの場面が好きだ。日本人はどんなに懐かしく、会いたくて仕方がなかった人と再会した時でも、本来は、抱き合ったり号泣したりはしないものだと思う。
高島俊男氏は、北朝鮮からの帰国者や復員軍人の家族との再会場面などを引いた後で、こう述べている。「わたしなどはむしろ、九死に一生を得て帰ってきた夫を空港に迎えた妻が黙って静かにおじぎする姿や、あるいは、久しぶりに帰ってきた人が子供の頭をちょっとなでるしぐさなどに深い愛情を感じる」
古き良き日本人、とはあまり言いたくないが、そんなエスノグラフィーとしても読めるところに、逆説的だが、深い文学性を感じた。

津軽にて酒三昧
太宰の生まれ故郷は津軽・金木。
昭和13年に、太宰が故郷の津軽半島を、3週間かけて旅した際の紀行的小説。
その内容は、表面的なものではなく、太宰独特の細やかな人情の機微にも富んでいます。
また、太宰自身の考えや内面が、細緻に描かれています。

太宰は無類の酒好きです。
しかし食べ物は、がつがつしているとはしたないから、あまり食べないそうです。
ただし、蟹だけは別だと名言していますが。

蟹田に行くと、蟹をアテ酒三昧。
外ヶ浜へ行くと、かつての友人二人とある寺を拝観する事になりました。
「ちょっと飲みましょう」と友人。
「ここで飲んではまずいでしょう」と太宰。
「それでは、酔わない程度に飲みましょう」と友人。
結果は予想どうりで、和尚の有り難い話を、三人とも全く覚えていないのでした。

こんな具合に、よく酒を飲む旅ですが、全体にユーモアがあります。
それは、事実を誇張せずに語られているだけで、ユーモアと意識せずに書かれているのだと思いますが、
その事実そのものが面白く、思わずニヤッとしてしまいます。

しかし、終盤の乳母たけとの再会は、涙を誘います。
この場面には、本当にハラハラしみじみとさせられます。

こんな具合の、喜怒哀楽に富んだ、非凡な紀行的文学作品です。

明るいそのまんまの太宰に会える
 昨年は、太宰治生誕100年だったこともあり、たくさんの太宰作品を読んだ。その中で、「ああ、太宰という人は、本来こういう人だったんだなあ。」と、ようやく生身の太宰に会えたように感じたのが、この作品である。彼は、故郷津軽の人たちとこのように語り、このように酒を飲んだ。そして、大好きだった育ての親と再会する。太平洋戦争真っ直中の昭和19年の春、彼は都会の生活を逃れ、故郷津軽を旅する。この作品では、友と語るリラックスした明るい太宰に会える。また、一方で、実家に対する彼のコンプレックス、気詰まりも理解できる。長部氏による作品「津軽」の裏話(解説)、太宰本人の手による津軽半島の地図など、この文庫ならではの特徴も見逃せない。
津軽

ラベル:太宰 治 津軽
posted by なつみ at 22:58| 日記 | 更新情報をチェックする

これはミステリーでなく純文学

高村 薫の照柿

推理小説は期待しちゃダメ。
・・・高村薫さんって、こんな感じだったっけ?

重厚だけれどテンポの良い、五條瑛さんやとにかく一切修飾語のない
吉村修一とか読んでいたせいか、す、す、進みませんページががが!

この上巻でも、「工場が衛生的でなく暑く、苛酷な労働条件です」
ということを表現するのに何十ページと使ってある。
うーん、確かに主人公の幼なじみとして、しかも極道という過去を捨てて
これだけの苛酷な場所でずっと働いていた・・という虚無感や焦りを表現するのに
必要なのかもしれないが・・

昔、世界名作全集で、延々と家族構成の説明だけを読まされた、
某・有名な名作を思い出す。

コンサルのレポートは一枚いくら、だとか何時間でいくら、だとか、
完全に量で金額が決まる分野もあることは知っているが、
もしかして小説も?長ければ長いほどありがたがられるの?と、
少しやさぐれてきたのも本当だ。

熱くて暑い描写がえんえんと続くので、読んでいるのは真冬なのだけど、
なんだか息苦しくなってきた。
顔をぐいぐい、夏のむわっとした熱いコンクリートにでも押し付けられているようだ。
読んでいるのが冬で、逆によかった。。
でも、そろそろ、展開急いで!正直しんどいです、読むの。

この上巻を説明して、と、誰かに言われたら、あたしは迷わずこう言う。

「主人公の刑事が偶然電車事故に巻き込まれて、
事故の被害者を愛人にしていたオトコの奥さんに一目惚れして
偏執狂的にストーカー紛いのことをおっぱじめる。
たまたまその奥さんと浮気しているのが、劣悪な工場で働いている
芸術家の男で、逃避行しようとしていたらばったり刑事と遭遇。
そうしたらこの二人はたまたま幼なじみだったらしい。
んで今、お互い奥さんを間に挟んで勝手に相手を陥れたくて
モウソウシテルところ。そこに刑事が追っている事件がちらほら、
間に入ってきてる感じ」・・以上!

肉感的人間ドラマ+サスペンス
合田刑事シリーズ第2弾!!「マークスの山」よりもずっと、合田刑事の内面に踏み込んだ、人間ドラマの意味合いが強い作品になっていると思う。ホステス殺しを追う合田刑事が偶然居合わせた列車轢死事故。そこで出会った佐野美保子に対する執着。幼なじみの野田達夫との再開。実は達夫は美保子と不倫の関係だった。警察内部と被疑者の両方の問題から、なかなか決着の付かない捜査。圧倒的なリアリティを持つ高村節は本作でも健在でした。達夫が勤める工場の炎に似た、エンジ色の「照柿」という色が執拗と言えるほどに描写され、登場人物達の心理状態の細かな描写と相俟って、作品の世界を、確かな質感と匂いの迫り来るリアルさを醸し出しています。佐野美保子への想いに揺れる合田刑事とか。他の高村作品が好きな方、人間味溢れる刑事小説が好きな方、オススメです。

これはミステリーでなく純文学
野田達夫は自分は人殺しではないかという脅迫観念を
心の中に飼い、しばし噴出しそうになる怒りを微妙な
バランスで自制しながら、工場勤めを続けてたが、
18年ぶりの合田雄一郎との再会が彼の人生を狂わる。
ラストに達夫が起こした殺人事件のきっかけとも言える子供時代の
二人の出来事が明かされます。逃れられない運命をいつもながらの
格調高い表現で淡々と描写する筆力に脱帽。
余談ですが、作者が女性って始めて知ったときはびっくりしました。
照柿(上)

カーゴパンツ
ラベル:高村 薫
posted by なつみ at 20:54| 読書 | 更新情報をチェックする

死生観を考えさせてくれる作品

立花 隆の臨死体験

人体から光子が出る!?
仏教でよく「後光が射す」という。仏像を見ても、西洋の宗教画を
見てみても、後頭部から放射する光のようなものが表現されている。
はたしてあれは何を表現したものなのか?

霊視が出来れば、各個人の霊格によって眉間から出る光の量が
異なることが確認できる。

この「臨死体験」下巻では、人体から光子(フォトン)が出ていることが
科学的に観測できることが紹介されている。
平均的な人間で、3から4秒に一個ぐらい放出されているらしい。

本書の主旨からすれば、少し横道に逸れた話題であるだろうが、
私には興味深い一節であった。

上下巻合わせてかなりのボリュームの本だが、
下巻には巻末に索引が付いており、単語さえ覚えていれば、
後から検索できるようになっている。

臨死体験とは、脳の現象なのか、あるいは事実なのか探ろうとする
ジャーナリスト立花隆氏が、「臨死体験」という非科学的な事象に対して果敢にとり組んだ意欲作です。多くの臨死体験者、そして海外でのレポートを元に、臨死体験とは、脳の現象なのか、あるいは事実なのか探ろうとする。

 膨大な取材と、勉強において完成している1冊です。

超常現象と科学。
臨死体験で起きる超常現象を唯物論者は、脳科学で解明しようとしています。脳死体験は、人種によって体験談に文化的差異が発生していることや再現が困難であること、客観的証拠がないことなど、言わば科学的な立証が成り立ちません。そこで、脳科学者が臨死体験の謎に迫る実験を試み反駁をしています。下巻は、上巻での臨死体験二言論に対し還元論に軸足を置いた内容になっています。立花さんは、還元論の立場にいるとしながらも、脳科学だけでは説明がつかない事例もある、というお考えのようです。超常現象、超能力といったものに対しての個人の考え方が大きく作用してくるテーマですが、それを人間とは何か?という視点で見たのが、この作品であると思います。多くの人は、科学的にものを見、考えると思います。それでも、不思議なこと、奇跡の出来事に触れると、神秘性を感じます。宇宙的にものを考えますと、神秘性の方が強くなってきます。このテーマは、現在の争点を知るまでで、どちらが正しいといえるものではないようです。唯一つ言える事は、臨死体験を経験した人は、死ぬことが怖くなくなり、生きることの喜びを感じるようになったと言います。宇宙飛行士にも地球を外から見て同じようなことを感じた方がおられるようです。また、宗教の神聖な部分と繋がっているようにも思えます。死生観を考えさせてくれる作品でした。
臨死体験〈下〉
サングラス

posted by なつみ at 19:11| 読書 | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

繊細すぎるかもしれない


歩にとって秋本の存在は大きいもの!
様々なできごとの中で、いつも歩の隣にいたのは秋本だった。

普段は気にかけない、いやうっとうしいとも思える秋本。

歩が、つらい時にさりげなく励ましてくれる秋本というたった一人の友人の、心があったかくなる行動に胸を打たれる。

また、あさのあつこさんならではのおもわずふきだしてしまうユーモアたっぷりの場面も、所々にはいっている。

電車の中じゃなくて・・
よかった。

電車の中で読んでたら、きっとやばかった。

読みながら、何度も涙で文字がゆがんで見えなくなった。

主人公は繊細だ。

繊細すぎるかもしれない。

でも、その繊細さが強さでもあり、温かさでもあると思った。

学校はいかなくてもいい。

心が壊れるような思いしてまで、苦しんでまでいくところじゃない。

でも、そこで出逢えることもある。

自分の心を支えてくれる言葉や人や出来事に、出会うことも、ある。

「今ここにいる自分」をなかなか肯定できなくて、苦しくてたまらない想いを抱いているときに、あたたかく包んでくれそうな本だと思った。

いいv
今回は、感情を吐き出せるようになった歩の周囲で、ぐっとくるセリフの連続ですvそして、この作者、プロレス好きだ( ̄∀ ̄)エルボードロップって出てくるv「歩、あのな」「うん?」「忘れんといてくれな」「え?」「おれ、いつでも傍におるからな。

おまえのことだけは、絶対、裏切らへんからな。

そこんとこ、忘れんといてくれな」こう言い切れる相手のいる幸せv二巻は宝石箱や?状態で、ぐっとくる。

かなりおすすめvThe MANZAI 2 (ピュアフル文庫)あさの あつこ
posted by なつみ at 03:00| 読書 | 更新情報をチェックする

2010年10月05日

新星歌手のスミ・ジョーの夜の女王のアリアも必見

大満足☆
本当に素晴らしいです!! 名歌手の歌声をこの値段で聞けるのは、お得です☆曲目も有名な曲ばかりで、入門編としてもオススメできます。


新星歌手のスミ・ジョーの夜の女王のアリアも必見です☆価格、内容ともに大満足

もしあまり気に入らなくてもこの値段なら諦めがつくし、と思い購入しましたが。


オペラはまったくの初心者ですが、どの曲もとても聞きやすくて買った良かったです。


しょっちゅう聞いてます。


超豪華版を廉価で!
有名なアリア、有名な歌手の歴史的名演を集大成したのだから、文句の付けようがございません。


「清きアイーダ」:ドミンゴの若かりし頃の声のハリ良いですね・・ただし、「誰も寝ては成らぬ」はパバロッティで聴きたいと思うのは私だけでしょうか?
収録されています曲を通して思うのは総て素晴らしいもので癒されますが、特にヘンデルの2曲は収録されているCDも少なく「涙の流れるままに」を好きな私に執りまして稀少だと思います。


余談ですが・・・「見よ勇者は帰る」は小学校の運動会や高校野球の場でも年数回は少なくとも聴くと思いますが「作曲者は誰?」と問いかけても答えられないのが現実だと思います。


もっとヘンデルに光を今宵も素敵な音楽と焼酎に酔っぱらってのレビューを書く事をお許し下さい。


ハバネラ〜オペラ・アリア名曲集
オムニバス(クラシック)
posted by なつみ at 02:00| 音楽 | 更新情報をチェックする
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